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コラム
焚き火哲学*11
『自由論①自由or不自由』

独り火に向かい、その暖かさと燻煙、薪の爆ぜる音を五官で感じる時、人は煩瑣な日常から解放される。炎を見つめながら物思い、物憂う中、人は誰もが哲学者となる。本連載は、そんな孤独な炎を共有し、誌上で語り合わんとする試みである。

― Sgt.キャンプ

第二部突入

今回から第二部に入ります。第一部は「哲学とは」と題しての入門編をお送りしました。とにかく難しそうで、とっつきにくい「哲学」がどんな学問なのか。その全貌を、できるだけ分かりやす〜く説明してきたつもりです。

そして第二部の表題は「自由論」となります。自由について語ります。言われなくてもこちらをお読みの皆さんは、キャンパー、アウトドアマンが多いでしょうから、すでに「自由」を愛し、「自由」に遊んでいらっしゃることでしょう。

特にソロキャンプ。周囲に誰がいる訳でもなく、時間を気にする必要もない、ひとりだけの焚き火シーン。薪を割り、火に焚べ、火種をかき混ぜるだけのあの贅沢なひと時──。何の制約も受けない完全なる自由を満喫していらっしゃることだと思います。

ただ、第一部で繰り返し述べてきた通り、「あたりまえを疑う」のが哲学の精神です。その自由が本当の自由なのか──。さらなる自由の境地は存在するのか──。そもそもそのキャンプ、焚き火が、現実からの逃避に堕してはいないのか──。あらためて考えていきたいと思います。




自由を哲学する

「自由」──この概念だけでも哲学界にはさまざまな定義があり、解釈があります。多数の意見、仮説に分かれています。その前段階となる「自由意志」についても同様で。とてもとても一言で語るのは難しい概念になります。

ですから今回は、初回からそんなに飛ばすことなく、僕たちの周りを取り囲む身近な状況から考えていくことにしましょう。

先ほど、自由で開かれているように叙述したキャンプ、焚き火シーン。これも本当に自由なのか? と言われると、決してそうではありません。でもそれは、キャンプ場で決められているルールが厳しくて──というレベルでもなく、最近はマナーがうるさくて──というレベルの話でもありません。どちらも不自由ではありますが、他の人に迷惑をかけないように取り決められている最低限の大切な規則、作法です。

哲学が取り扱うのはもっと繊細で、微妙な「自由」になります。




本来は自由なはずなのに

例えばスタイル。自分が持っているギアを見渡して、これって本当に自分が好きで買っているのだろうか──と疑問に思ったことはありませんか。「みんな持ってるから」とか「流行っていて入手困難だから」などの理由により、勢いで購入したものもありますよね(僕はあります)。

例えば焚き火。ファイヤースティックで着火したり、薪をバドニングしたり、何でわざわざこんな面倒臭いことをしているんだろう──と疑問に思うことはありませんか。着火剤を使ってサッサッと火起こしをしてしまえば良いのに。焚き火なんて遊びなんだから、もっと自由にやれば良いんだって思うこともありますよね(僕はあります)。

さらにはインスタグラムやユーチューブをされている方々。フォロワーがそんなに多くないにしても、いつの間にか主客転倒──楽しんでキャンプをしている様子を撮影するのではなく、撮影をするためにキャンプをするような逆転現象にに陥ることってありませんか。フォロワーが増えると、その分、見えない強制力に操られるようになってきたりして(これは僕はありません。SNSやってないから)。

その他にも、ファミリーキャンプにグループキャンプ。フェスやイベント。はたまたお仕事などでキャンプをしている人も含めて、最初は好きで始めたキャンプだったはずなのに、そう毎回毎回楽しく続けられるわけでもなく──正直「めんどくさいな」と思いつつ、出掛ける時もあったりしませんか(これはあります)。

しかしこんな例はキャンプだけに限りません。釣りでも、ゴルフでも、ライブでも、映画鑑賞でも──あらゆる趣味で起こりうる現象です。現代人が罹っている病といっても良いかもしれません。




奴隷化する現代人

第二部で扱う「自由」は、こんな身近な現象に現れる「不自由」について分析していきます。どちらかというと、「自由論」というより「不自由論」といった方が相応しいかもしれません。いや。もっと過激に「奴隷論」と銘打った方が良い内容になるだろうと予想しています。

そう、僕たちは奴隷なのです。自らでは気付かない無自覚な奴隷であり、自ら進んでそうなった能動的な奴隷なのです。「そんなバカな」と思われる方もいらっしゃるでしょうが、近代以降、たくさんの思想家、哲学者、社会学者たちが、口を揃えてそう唱えています。著作や概念とともに、その一部をご紹介してみると──。

ニーチェ「ルサンチマン」、フーコー「パノプティコン」、ハイデガー「ダス・マン」、モース「贈与の一撃」、レヴィ=ストロース「構造主義」、クリステヴァ「ル・サンボリック」、ル・ボン「群集心理」、ジジェク「幻想の横断」、大杉栄「奴隷根性論」、中井久夫「執着気質」、浅田彰「構造と力」──。

すぐに思い付く分だと、こんなところでしょうか。まだまだあるかもしれませんが、第二部ではこんな人たちの思想に触れながら、自由のためへの闘争、あるいは逃走──自説を展開していく予定です。

なにやら不穏な雰囲気から始まってしまいましたが、これまで通りお気軽に、分かりやすく──楽しく考えて楽しく学問する姿勢を心掛けて執筆に励んでまいりたいと思います。どうかお付き合いのほど、よろしくお願いいたします。











Author
Sgt.キャンプ
キャンプ歴35年、市井の思想家。