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コラム
焚き火哲学*14
『自由論④第三の波』

独り火に向かい、その暖かさと燻煙、薪の爆ぜる音を五官で感じる時、人は煩瑣な日常から解放される。炎を見つめながら物思い、物憂う中、人は誰もが哲学者となる。本連載は、そんな孤独な炎を共有し、誌上で語り合わんとする試みである。

― Sgt.キャンプ

自由の質の変化

僕たちがアウトドアに求める「自由」は、人類が長い間苦しめられてきた「不自由」とはタイプの違うものです。

領主に苦しめられていた封建制の時代、奴隷や植民地が当たり前だった昔と比べれば、現代人は大きな自由を獲得しています。まだ完全に払拭されたわけではありませんが、階級や性別による規制を受けることも少なくなりました。

しかしその代わり、些細で意識されることも少ない、若干の不自由が残っています。僕たちを取り囲む見えない針金、枠、フレームのような構造──前々回「構造主義」という名で紹介した比較的最近の哲学概念です。

そしてその構造が反復、繰り返されることで象徴化、シンボル、記号となって暴走する「高度情報化時代」に突入──前回「ポストモダン」という言葉でも説明しました。

そこでデジタルデトックス──多すぎる情報から逃れるためにネットを遮断し、スマホをシャットダウンする。アウトドア、キャンプの効用として取り上げられることも多いアクティビティ(?)ですね。

僕たちが求めているのは「権力者からの自由」ではなく、伝統や習慣、ルールや常識──ひとことで言えば「情報からの自由」なのかもしれません。




情報化の時代

ですが、逃げてるばかりでもいられないんですよね。休日が終わり、会社に出勤すれば、また洪水のように溢れる情報──コンピューターワーク、メールのやりとり、収支決算などの大量な情報処理にまつわるお仕事が待っています。

または、なちゅガールメンバーのように動画の編集、画像の投稿──YouTubeやインスタのアップロードなど、それこそデジタルの海へと自らダイブし、情報を発信する人もいます。

こんな駄文をしたためている僕もその一人かもしれません。

情報を受信したり、発信したり、処理したり──現代人の営みのなんと多くが「情報」に割かれていることでしょう。アルビン・トフラー(1928-2016)が半世紀も前に予見した「第三の波」の時代の到来です。




第三の波

「第一次産業=農業」「第二次産業=工業」ときて「第三次産業」はというと──「サービス業」と習った人が多いと思います。大きなくくりとしてはそれも間違いないのですが、サービス業と聞くと「いらっしゃいませ〜」というような、接客業を連想してしまいますよね。

実際、第三次産業の時代が到来してみると、お店の様子、接客業の様子は昔と大して変わっていません。その実、その中身を覗いてみると──トフラーが予想した通りの情報産業、皆さんがいま実感している通りのコンテンツ産業の時代となっています。

「第一の波」=人類が初めて農耕を開始した農業革命。「第二の波」=蒸気機関と印刷技術を代表とする産業革命。「第三の波」=情報革命による情報化社会=ポストモダンの時代という解釈です。

確かに今は車が売れなくなりました。若者たちはスマホ上でゲーム、YouTube、TickTockに興じています。昔のようにバイクや自転車、ステレオなど──第二次産業の工業製品を欲しがらなくなりました。彼らが今一番お金を使っているのは、通信料のパケット代や、サブスク、課金ガチャかもしれません。まさにコンテンツ消費の時代ですね。

しかしトフラーが予想したのは、そのような消費行動だけではありません。




プロシューマー

昔の新聞、ラジオ、雑誌、テレビなどの一方通行のメディアとは異なり、インターネットはその名の通りインタラクティブ(inter-active)なメディアです。こちらからも情報が発信できます。

それをはるか昔、まだ家庭にパソコンもネットもなかった時代(軍用のネットはあったそうです)から予見したトフラーは「プロシューマー」という言葉を創り出しました。万人が情報を生産(produce)しつつ、消費(consume)するようになるというので、合わせて「プロシューマー(prosumer)」と名付けられています。

これが今のSNSやYouTubeですね。皆がtweet(さえずり)や写真を投稿したり、動画を編集してアップロードしたりしています。僕が注目したいのはこの構造です。

つまり冒頭で書いた通り、僕たちの求める自由が「権力者からの自由」ではなく「情報からの自由」に変わったのだとするならば、その「情報」とはどこから来るのかということです。

ひと昔前なら新聞やテレビなどの大手メディアが「情報」をプロデュースしていました。言ってみればメディアを牛耳る巨大権力です。しかし現代は僕たち自身、みんなが情報をプロデュースしている構図です。これは不思議な現象を誘発します。




自分が自分のご主人さま?

目に見えない構造主義の構造、枠、フレームというと、国家や社会権力がそのフレームを構築しているような錯覚を覚えます。しかし今の時代、そんな悪の傀儡なんてどこにも存在しないでしょう。

自分たちが自分たちでルールや規則、社会通念や常識を創り、せっせとそのフレームを強固なものにしているだけのかもしれません。ネットにおけるポリティカルコレクトネスだけでなく、普段の生活におけるマナーや作法──もちろんキャンプも含めて。

言ってみれば「自分が自分のご主人さま」なのです。さらに換言すれば「自分は自分の奴隷」なのです。ここに解決の糸口を見い出せるかもしれません。

物質的には豊かになり、本当は暮らしやすくなったはずの現代です。しかし精神的には気苦労が多く、ストレスフルな社会となっています。それはトフラーの言う通り、第二の波(物質産業)は乗り越えても、まだ第三の波(情報)には上手く乗れていないからでしょう。

情報の波、ネットの波で上手くサーフィンする道を今後も模索していきます。














Author
Sgt.キャンプ
キャンプ歴35年、市井の思想家。