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コラム
焚き火哲学*30
『SM論⑩スレイビッシュ・ミーム』

独り火に向かい、その暖かさと燻煙、薪の爆ぜる音を五官で感じる時、人は煩瑣な日常から解放される。炎を見つめながら物思い、物憂う中、人は誰もが哲学者となる。本連載は、そんな孤独な炎を共有し、誌上で語り合わんとする試みである。

― Sgt.キャンプ

SM論

第3部もいよいよ最終章となりました。「SM論」という、謎のいかがわしいタイトルをつけたまま10章までお送りしてきましたが、いい加減その説明、種明かしをしなくてはいけませんね。

前回、話は「ミーム」まで進みました。でも、「ネットミーム」や「インターネットミーム」などと最近よく使われる用法とは違います。それだと「NM」とか「IM」になっちゃいますから。

この「SM」というのは「スレイビッシュ・ミーム(Slavish Meme)」という、僕自身による造語の頭文字です。ここ何回かに渡ってお話を続けてきた、生物学者のリチャード・ドーキンスによる造語「セルフィッシュ・ジーン」……「利己的遺伝子」に拮抗する概念。「隷属的情報子」とでも訳すべき造語になります。

今一度お話を整理していきましょう。




ジーンの身勝手さ

ドーキンスは僕たちの染色体、DNA、遺伝子、ジーン(Gene)を「セルフィッシュ」だと形容します。セルフィッシュ……ワガママ、身勝手、利己的という意味ですね。だから「セルフィッシュ・ジーン(利己的遺伝子)」です。

確かに遺伝子は、自分の有利になるように生物の体を作り変え、生物の行動さえもコントロールします。遺伝子の中に組み込まれた「本能的行動」「先天的行動」と呼ばれるプログラムにより、僕たちの行動を支配しています。

ドーキンスは遺伝子工学系列ではなく、動物行動学寄りの進化生物学者なので、動物の行動そのものに着目して遺伝子のワガママさ、身勝手さに気付いたのでしょう。遺伝子たちは自分の繁殖ばかりを考えて、自己中心的、利己的に僕たち生物の体を操っていると──。

しかしヒトの場合、自らの行動を決定しているのは遺伝子、本能だけではありません。僕たち人間には自由意志があります。




ピュシス・カオス・ノモス

大脳が発達していない多くの生物は、ワガママな遺伝子の命令に従っているだけの存在なので、ほとんどの個体が同じように振る舞いをする訳ですが、僕たち人間は違います。その大脳によって生まれた自由意志により、てんでバラバラの行動をします。

哲学的に言うと、動物は「ピュシス」と呼ばれる自然の法則に従っているだけ。一方、人間は「カオス」と呼ばれるバラバラな行動をとるものだと説明されます。

しかしカオスそれだけでは、社会的動物としての秩序立った行動もままならなくなります。人間が協力しあって社会を形成するためには、「ノモス」と呼ばれるその地域の「規律」、国家の「法律」、宗教の「戒律」などに律せられる状態が必要となるのです。




ミームの隷属化

そこでドーキンスは、「ミーム(情報子)」という言葉も編み出しました。動物たちを観察していると、遺伝子によって本能的に決定付けられている行動だけではなく、親から子、群れの中などで、情報として伝えられている行動もあると。

インコが他の地域に住むインコの「方言」をマネて鳴くようになったり、サルの群れの中で「芋を洗う習慣」が伝わったり──遺伝子が生物個体に伝わっていくように、情報も伝わっていくのだと。その伝わり方、伝播の仕方が遺伝子に似ているので「情報子(ミーム)」という名前をつけて、架空の概念を編み出したのです。

人間は他の動物とは違い「言語」を持っていますから、その情報子がより効率よく伝播されます。群れの中、共同体の中、国家の中で同じミームが広く共有されます。風習や神話となって次の世代にも受け継がれもします。やがてそれは、伝統や宗教に姿を変え、人間全体を縛り始めるのです。

それが先ほどのノモス。規律、法律、戒律などで律せられた社会です。




スレイビッシュ・ミーム

ここまでは第3部、前回までお話してきたことの総ざらい、復習をしたにすぎませんが、僕がちょっと不満に感じているのは「ミーム」に枕詞(まくらことば)が付いてないことです。枕詞……というか肩書き、肩書き……というか敬称、敬称……というか冠詞が付いていない物足りなさです。何言っているか分かりませんね。

「セルフィッシュ・ジーン」に対して、ミームには「○○○○・ミーム」という枕詞が付いてないのです。今や「ミーム学」という学問まで確立しつつあるのに、一般の方にこの概念が知られていないのは、そのせいだとも思うのです。「セルフィッシュ・ジーン」はドラマ化までされ、かなり有名になったのに。

そこで僕が編み出したのが「スレイビッシュ・ミーム」という造語です。スレイビッシュ……奴隷化、隷属化。ちょっと語呂の悪い感は否めませんが、ワガママで身勝手な「セルフィッシュ・ジーン」に対して、「ミーム」の特性は集団や社会に僕たちを帰属させる強制力。自ら進んで隷属化、奴隷化してしまう性質が人間にはあります。

この人間の特性に注目している人が少ないと思うのです。

一見、ひとりひとりの個人は自分の欲望のおもむくまま、法律や罰則などの縛るものがなければ悪事だって働いちゃう、性悪説的な存在であるような感じがします。ホッブズが提唱した大昔の古い人間観です。

あるいはそれよりはちょっと新しい性善説。ロックが提唱したように人は放っておいても協力し合い、社会を作る動物だとも考えられます。

しかし時代がさらに新しくなると、ルソーが現れて、人は生まれた時点では性善的な存在であるが、社会に入ると金や権力のために悪事までをも働くようにるという──現代思想につながる人間観を提唱しました。

その後のニーチェはキリスト教に隷属する人間の心をルサンチマンと呼び、ヴェーバーはそのキリスト教への忠誠心が資本主義的なお金の社会を発展させたのだと説きました。構造主義哲学が生まれ、交換・お金に対する人間の隷属化が原理的に説明されるようになると、心理学の知見も加わって、ラカンやドゥルーズのように人間の奴隷化、隷属化を定式化する分析もなされるようになっています。

しかしこういった思想の流れを把握している人も少ないと思うのです。




第四部に向けて

この連載では先にその流れのひとつひとつを紹介してまいりましたが、この一連の思想を包括する言葉がなかったのです。近代以降、特に現代の哲学では、数多くの思想家が口を揃えて同じことを言っているのに、それを総括する用語が存在しないのです。

そこで僕がない知恵を絞って編み出したのが「スレイビッシュ・ミーム」という言葉だったのです。

この隷属化してしまう情報子の存在を意識し、その影響力、強制力に自覚的になってこそ初めて、人は自由な生き方、自分の自由意志を発揮し、のびのびとした生き方ができるようになると思うのです。

忙しい都会の生活、毎日の決められた労働。ノモス(規律正しい社会)での生活からピュシス(自然界)へと飛び出し、自らの自由意志の趣くままにカオス(秩序の破壊)的な焚き火を愉しむ──。本稿『焚き火哲学』が目指す、本当に自由な、自分だけの世界へ──。

しかし第三部もこれにて終了です。第四部に継続して、さらに深くこの「スレイビッシュ・ミーム」を分析し、乗り越えていきたいと思います。皆さんお付き合いのほど、よろしくお願いいたします。








Author
Sgt.キャンプ
キャンプ歴35年、市井の思想家。