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コラム
焚き火哲学*36
『SM論⑯日本の事情』

独り火に向かい、その暖かさと燻煙、薪の爆ぜる音を五官で感じる時、人は煩瑣な日常から解放される。炎を見つめながら物思い、物憂う中、人は誰もが哲学者となる。本連載は、そんな孤独な炎を共有し、誌上で語り合わんとする試みである。

― Sgt.キャンプ

海外のキャンプ事情

突然ですが、皆さんは海外でキャンプをされた経験はありますか? 実は筆者はキャンプを始めたのが海外だったりします。ですから、初めて日本のキャンプ場に行った時には戸惑いました。

──というより「こんなにゆき届いた整備がされているのか!?」と驚いたほどだったのですが、その詳細はまた後ほど。




国内の思想事情

通算で36回目の連載。SM論と銘打ってからは16回目。かなりの長期連載が続いています。お付き合いいただいている読者の皆さん、ありがとうございます。

「スレイビッシュ・ミーム(隷属的情報子)」という概念を打ち出して自説を展開しております。独自の概念とはなりますが、現代の思想家が口を揃えて言う「人は生まれながらにして奴隷である」という説をまとめているにすぎません。

これまでヴェーバー、マリノフスキー、フーコー、モース、ハイデガー、それにニーチェ──様々な思想家を紹介しながら「人は自発的な奴隷である」という主張を論じてきました。社会学者や人類学者もいますが、だいぶ西洋哲学に偏っていますね。筆者の読書傾向なので申し訳ありません。

しかし日本人の中にも同じことを論じている人はいます。




大杉栄

不勉強な僕にとっては、日本版「SM論」の創始者は大杉栄になります(もっと早い人が他にもいらっしゃるかもしれませんが)。明治生まれの無政府主義者(アナーキスト)で、関東大震災直後に特高警察によって殺害されてしまった思想家です。

彼の著作の中でも有名なのは、その名も『奴隷根性論』。古い作品なので著作権も消失し、「青空文庫」に収録されていますので、青いリンクをクリックして頂ければ全文が読めます。

しかも、全部で3500字と大変短い論文です。なちゅガールの普段の記事の2倍もない文章量なので、お時間のある方はぜひお読みになってみてください。その中でも今回は、僕が一番重要だと思う箇所を抜き出してみましょう。

野蛮人のこの四這い的奴隷根性を生んだのは、もとより主人に対する奴隷の恐怖であった。(中略) すなわち馴れるに従ってだんだんこの四這い的行為が苦痛でなくなって、かえってそこにある愉快を見出すようになり、ついに宗教的崇拝ともいうべき尊敬の念に変ってしまった。本来人間の脳髄は、生物学的にそうなる性質のあるものである。

ここで僕が特に重要視するのが「苦痛でなくなって、かえってそこにある愉快を見出すようにな」るという下りです。奴隷であることは苦痛ではなく快楽である──人が自発的に奴隷になることを、この昔にすでに見抜いています。




山本七平

時計の針を少し進めて戦後。太平洋戦争の狂気と、中でも戦艦大和の愚行にまつわる論考で始まるのが山本七平の『「空気」の研究』という本です。このタイトルにある「空気」というのはそのまま、一時期前に流行った「KY(空気が読めない)」のアレを指します。

今でいうと「同調圧力」とか「ピアプレッシャー」と呼ばれ問題視されるようになってきた概念概念ですね。本稿でも幾度かにわたり取り上げてきました。

評論家の谷沢永一さんに「この空気というのはちょっとコメントをつけにくいが、言われたらいちどにわかることである。これを最初に持ち出した着眼はすごいと思う」と言わしめています。確かに1977年の昔に、2007年の流行語(KY)を持ち出した慧眼はそうとうなものでしょう。

ただ、プラトン著『ソクラテスの弁明』の冒頭では、「神々を崇めもしないとみなされる空気が市民の間にできている」──との記述も見受けられます。遥か2,400年前のギリシャでもすでに、この「空気」による圧力は存在していたのです。ソクラテスはそれによって処刑されたと弟子が書いているのです。

山本七平は古今東西、人類に共通して存在するこの同調圧力が、日本人において特に強調される原理を「臨在感的把握」という言葉で説明しています。

臨済感的──難解な言葉ですし、説明するのも難しいのですが、日本人は物を認識するときに感情移入による対象の絶対化をはかってしまい、やがてそれは「物神化」してしまうというような現象らしいです。そしてそれは、アニミズムによる多神教国家であり、単一民族の島国であることが原因らしいです。




中井久夫

そこからまた時を進めて現代になると、精神科医の中井久夫さんが僕の中では大きいのですが、例によっていつもの通り、今回も文字数が膨らんできてしまいました。次回に繰り越させて頂きたいと思います。

次回から精神医学や心理学、生物学や医学分野の少し理系寄りのお話になる予定です。




日本のキャンプ事情

話を冒頭に戻しまして、日本のキャンプ場で感じた違いとは──「サイトが小さい」「規則(ルール)が多い」「直火禁止」など窮屈なものもありますが、何と言っても便利で安心、安全。とっても過ごしやすいという利点です。

忘れ物をしても管理棟でほとんどの物は売っているし、誰もがお行儀良く嫌な思いをすることがほとんどない。そして何より防犯面での安心が大きい。カフェや電車でお財布を置きっぱなしにしても、届けられることが多い日本です。道徳心の高さはよく評される通りですが、キャンプ場でも同じことが言えます。

これは、ここまで論じてきた日本人の「奴隷道徳」と「空気」の恩恵と言っても良いでしょう。何事にも良い面と悪い面、功罪はあります。

我が国のビジネスや経済の側面で言えば、その「奴隷根性」と「同調圧力」が第二次産業時代の高度成長と生産力を押し上げたと評価されますが、一方で今の情報化の時代では、新しい価値の創造やベンチャーの足枷せとなっていると問題視されています。

キャンプのような遊びの場合では──他人の迷惑にならない限りで、好きにしちゃって良いのではないでしょうか?








Author
Sgt.キャンプ
キャンプ歴35年、市井の思想家。