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コラム
焚き火哲学*37
『SM論⑰パラノイアキャンプ』

独り火に向かい、その暖かさと燻煙、薪の爆ぜる音を五官で感じる時、人は煩瑣な日常から解放される。炎を見つめながら物思い、物憂う中、人は誰もが哲学者となる。本連載は、そんな孤独な炎を共有し、誌上で語り合わんとする試みである。

― Sgt.キャンプ

キャンプをさらに快適に!!

日本と海外とのキャンプ事情の違い──それは焚き火のお作法ひとつを取っても異なります。前回は日本の思想になぞらえてそれを分析してみました。結果、日本の良さも見えてはきたのですが──。

良い点だけをもってして満足してしまったら、そもそも何事も論じる必要はなくなってしまうでしょう。

改善すべき点があるとすれば、それを見直し、さらに良くするべきです。キャンプや焚き火をさらに快適で、楽しいレクリエーションにするために、前回触れることのできなかった日本の精神科医、中井久夫さんから論考を続けたいと思います。

ポイントは他人の目を気にしすぎる日本人──という点になるでしょうか。




分裂気質と執着気質

中井久夫さんといえば、精神科医でありながら、その類い稀なる文才で賞賛されることも多い思想家です。心理学での知見を人類学に応用し、人類の文化、戦争と平和、昭和という時代などなど──多岐にわたる執筆活動に勤しまれました。もう哲学者と呼んでも良いと僕は考えています。

特にその研究テーマとなった「分裂気質」と「執着気質」という概念は、浅田彰やジル・ドゥルーズの用語で言えば「スキゾフレニー」と「パラノイア」に通じる、立派な哲学用語でもあります。

ものすごく簡潔に言えば、意識が拡散する「スキゾ」と、集中する「パラノ」──今回はこの2つの概念を中心にお送りします。




分裂病親和者

かつての分裂病。現在では「統合失調症」と名称変更されました。中井久夫さんは「どの世界においてもなぜ人類の1%前後にそれが現れるのか」という問いに考察を与えました。

答えから言うと──狩猟生活に必要だったから。狩りを行う際には、自然の中での小さな動き、獲物の匂いや天候の変化を敏感に察知する能力が重宝されます。これは悪い言い方をすれば「あちこちに気が散っている」と表現しても良いと思います。良い言い方をすれば「広い視野で全体を見ている」とも。その中で起こる微細な変化を察知して対応できる柔軟性──確かに危険な狩りの場面では必要になるでしょうね。

『分裂病と人類』という書物をはじめとして、中井さんはどちらかというとこの分裂病について多くを書き残しているようで、その評価も多く目にします。




執着気質的倫理

しかし僕が注目したいのはその対極の概念、「執着気質」です。なぜかと言うと、こちらが日本人に固有の精神だとされるからです。

執着気質が本領を発揮するのは農耕社会。日本の稲作のような皆で共同作業をする場です。農耕においては、与えられた尺度を用い、予測されうる収穫を計算する能力が問われます。そして何より忍耐と持続性も必要になります。勤勉だとよく言われる日本人の気質だと言って良いでしょう。

しかし、その悪い点にも注目してみましょう。

狩猟と違って農耕は、広い面積の自然を作り変える生産方式を採ります。これは一種の自然破壊であり、反逆でもあります。結果、人に罪の意識を抱かせると言うのです。土着の神を追放したと言う罪悪感。日本人の自己評価の低さと自信のなさは、そんなところに由来するのかもしれません。

さらに執着気質は冒険心に欠け、新しいものをデザインし創造しようとする気概を持たないとも言われます。既存の社会規範に従順に従い、それに寄り添うことで安寧を得ようとするのです。反面、異質なものを排除し、ルールを破る者を許さないという気質にもつながります。お互いに監視の目を光らせる五人組制度ような息苦しい社会の構築につながるのです。

いえ──、他人の目を気にしているほうが、却って気持ちが落ち着く──とまで定義してしまったら言い過ぎでしょうか。




現代のキャンプ

前回描写したように、日本のキャンブ場は綺麗に区画整備され、清潔な管理が行き届いています。その分、隣のサイトが近くなり、やはり人の目が気になるようになりますよね。

でもそれは会社や学校でも同じこと。中井さんは高度経済成長を支えた日本のシステムを、農耕社会の延長だと分析しています。

ものづくり大国と言われたマス・プロダクション(大量生産)と、その人材を育てたマス・エデュケイション(大人数の教室による大量教育)──社会規範に従順に従い、それにより安定した生活を実現する。三種の神器(白黒テレビ・冷蔵庫・洗濯機)とその後の3C(カラーテレビ・クーラー・マイカー)に代表されますね。それが一億総中流が目指した豊かな生活でした。

しかしやがてコンテンツ、高度情報化時代の今に突入すると、SNSを通して無限に人の目が気になってしまう弊害をもたらします。ご存知の通り誹謗中傷を気にしたり、炎上を心配したり──。キャンプ場でのマナーが悪ければ、拡散されてしまう可能性もあります。




未来のキャンプ

そんな現代のキャンプ事情を(というわけではありませんが)、中井さんはすでに予見された一節を生前に残しています。

高度成長を支えた者のかなりの部分が執着気質的職業倫理であるとしても、高度成長の進行と共に、執着気質者の、より心理的に拘束された者から順に取り残され、さらに高度成長の終末期には倫理そのものが目的喪失によって空洞化を起こしてきた。そのあとに来るものはあるいは、より陶酔的・自己破壊的・投機的なものではないか。

ちょっと難しい表現ですが、簡単な解説を試みましょう。

キャンプとは本来は西洋型の狩猟文化、自然と戯れ同化する遊びなのかもしれません。日本の農耕文化から延長された、自然を支配し、人工的に整備する姿勢とはミスマッチを起こしているのかもしれません。その尺度と予測計算、社会規範に従順に従い、それに寄り添うことで安寧を得るという目的が空洞化を起こしてしまうのかもしれません。

それがパラノイア(執着気質)キャンプの陥穽。

次回はお話を西洋に戻して、スキゾイド(分裂症)型キャンプについて検討。僕たちキャンパー&焚き火愛好家がこの先、どんなキャンプを目指したら良いのかを検討して行きましょう。








Author
Sgt.キャンプ
キャンプ歴35年、市井の思想家。