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コラム
焚き火哲学*41
『倒錯論①哲学的転回』

独り火に向かい、その暖かさと燻煙、薪の爆ぜる音を五官で感じる時、人は煩瑣な日常から解放される。炎を見つめながら物思い、物憂う中、人は誰もが哲学者となる。本連載は、そんな孤独な炎を共有し、誌上で語り合わんとする試みである。

― Sgt.キャンプ

新章突入

新しい章に入りました。季節も変わって秋になりました。ここからがキャンプのベストシーズン、もう少しすれば焚き火のベストシーズンもやってきます。そして読書の秋。物想いに耽け、施策を巡らすにも最適な季節。これからも焚き火哲学をよろしくお願いします。

なんたって思い返せば、今年の夏も暑かったですからね。焚き火なんてとてもとても──新しいギアや、新しい焚き火台を購入しても、出番がなかったんじゃありませんか。

これからは思いっきり使い倒しましょう。




哲学の仕事

──ということで新しい章のタイトルは「倒錯論」です。その内実は「主客転倒論」とか「価値動転論」などと呼んだ方が良いかもしれません。前回最後に登場したスロベニアの哲学者、スラヴォイ・ジジェクを援用して、「手段と目的がすり変わってしまう」という現象を主にして論じていこうと考えています。

この「転倒」とか「動転」などと呼ばれるものは、哲学の世界のお家芸みたいなものだとも言えます。一番有名なものはカントの「コペルニクス的転回」になるでしょうか。天動説から地動説へと世界観が一変したような、大きな価値の転倒を起こしたとされています。

──とは言っても、まあ、どの哲学者にしてもそれぞれ、それまでの常識を一変させる思想を打ち出すことを仕事にしているようなものです。小さな「コペルニクス的転回」はそれぞれの主張で起こっています。40回を数えるこの連載でも、何度かそのような転回を紹介してきたと思います。

その天地がひっくり返るような驚きを「タウマゼイン」という哲学の醍醐味だとして、第1回から紹介してきました。

つまりはその代表例、「色即是空、空即是色」=「コギト論」=「世界は存在しない(かもしれない)」になるのですが、この俄かには信じられないような話を、手品の種明かしのように楽しむのが哲学との丁度良い付き合い方と言えるのかもしれません。




常識を覆す

また、「学者の非常識」ともよく言われますが、学者さんといえば大学に閉じこもって、世俗とは離れた研究に勤しんでいるようなイメージがありますよね。実際には社会と関わり、メディアに露出される学者さんも多数いらっしゃるのですが。

でも、僕がそんな「非常識」と初めて出会ったのは、大学入試の時だったと思います。現代文の問題に出てくる論説文や批評文──あれってだいたい、高名な学者さんや作家さんによって書かれているものです。するとその内容も、一般常識がひっくり返った非常識なものになりがちです。

それを常識的な頭で解こうとするから、選択肢を間違えるのです。本文は非常識な理論を展開しているのに、「普通に考えてこの選択肢だろう」とか「良い事を言ってるのはこの選択肢だな」などと選んでしまうので間違えるのです。先生によく「自分読みに気をつけろ」と注意されましたが、自分は高校生になるその時点まで常識の中で育ってきたのですから、いたしかたないことです。

──辛かった受験時代をちょっと思い出してしまいましたが、受験勉強そのものだって、主客転倒しているかもしれません。手段と目的がすり替わっているかもしれません。皆んな大学に行くために勉強しているのですが、実はこれって逆だとも言えないでしょうか。




手段の目的化

答えから言うと「勉強するために大学に行く」──これが本来あるべき姿ではあるはずです。よく日本の大学生は「大学に行く前は一生懸命勉強して、合格したら4年間遊んでしまう」と批判されますが、これでは価値が動転してますよね(優等生のようなことを言ってますが、僕も4年間きっちり遊んだクチです)。

理想「勉強するために大学に行く」↔︎現実「大学に行くために勉強する」という、理想と現実との相克のようにも図式化できますが、話がちょっと堅苦しいかもしれませんね。同様な例は他にもいろいろ挙げられて──。

「愛するために結婚する」↔︎「結婚するために恋愛する」
「生活のために働く」↔︎「働くために生活する」
「健康のために痩せる」↔︎「痩せるために健康を損なう」

最後は実害まで出てしまうまでの例となりましたが、こんなことって往々にしてあり得ると思います。ひどくなると「手段が自己目的化」していると呼ばれるようになります。冒頭で書いた「新しいギアを買ったからキャンプに行きたい!」なんてのもそれに当てはまるかもしれません。キャンプ道具程度だったら、実害はあまりなさそうにも思えますが。

あっ、「散財している」という害はありますね




サイバー空間の哲学

いや、今はネット時代です。Amazonや楽天で、ポチっと購入するだけで何でもすぐに届いてしまうこのご時勢。実害は小さくもないかもしれません。押し入れや物置が、使いもしないキャンプ道具で溢れているなんて方もいらっしゃるかもしれません。

ネットが僕たちのマインドや行動に影響を与えるこの現象。現代の哲学はコンビューターと人間のあり方をも研究対象にしています。本題のスラヴォイ・ジジェクもその一人。まだ存命中の新しい哲学者なので(ほとんどの高名な哲学者は古い人ばっかりです)、ラカン心理学の後継者としてサイバースペース──つまりネット空間で起こる人間の心理を研究対象としています。

コンピューターとネットの発達により、人間と世界はどう変容したのか。人間は何でもできる自由を手にいれたのか、それとも窮屈な生活を強いられるようになったのか──。自由を満喫できるユートピアか、はたまた管理社会型のディストピアか──。彼はこの問題を「幻想が横断していく」現象だとして論じます。

その詳細は心機一転、この新たなる章で追いかけていきたいと思います。











Author
Sgt.キャンプ
キャンプ歴35年、市井の思想家。