ホーム画面に追加してね>>
コラム
焚き火哲学*42
『倒錯論②サイバー空間の転倒』

独り火に向かい、その暖かさと燻煙、薪の爆ぜる音を五官で感じる時、人は煩瑣な日常から解放される。炎を見つめながら物思い、物憂う中、人は誰もが哲学者となる。本連載は、そんな孤独な炎を共有し、誌上で語り合わんとする試みである。

― Sgt.キャンプ

サイバー空間の自由

それでは引き続いて最近の哲学者、スラヴォイ・ジジェクを元にサイバースペース──つまりネット空間における僕たちの心理を解明していきましょう。

コンピューターとネットの発達により、人間と世界はどう変容したのか。人間は何でもできる自由を手にいれたのか、それとも窮屈な生活を強いられるようになったのか。──自由を満喫できるユートピアか、はたまた管理社会型のディストピアか。

自由に関しては、第二部において人類の歴史を遡りながら考察を試みました。人間が社会を形成するようになった変遷を、ノモスとカオスという概念を中心に論じてきました。簡単に言えば、社会制度に組み込まれるということは、ある程度の自由を束縛されることでもあります。僕たちが都会を離れ、自然の中でキャンプをするのも自由を求めて。火を起こして焚き火を愉しむのも自由のため──。

しかしサイバー空間が舞台となると、話がさらに複雑になりそうです。ユートピアか、ディストピアか、あなたはどちらになるとお考えになりますか。




カリフォルニアン・イデオロギー

インターネットという革新的な空間が僕たちの目の前に現れて、もう30年が経とうとしています。人類が初めて経験したこの新しい世界を、識者たちは様々に論じてきました。その一つは、かつてない工学の力により、あらゆる事が可能になる夢のような未来社会の到来です。

そのムーブメントを先導したのはAppleのスティーブ・ジョブズだったと言っても過言ではないでしょう。“Stay hungry, stay foolish.”という彼のメッセージは、その前哨となるヒッピー、ヤッピー、フラワーチルドレンの精神を引き継いでいます。

西武の開拓者たちと同じフロンティア・スピリッツで西に向かい、カリフォルニアのシリコンバレーに辿り着いた彼ら。ゴールドラッシュのようなチャンスに溢れた情報産業の世界。テクノロジーが自由と力をもたらしてくれる──カリフォルニアン・イデオロギーとか、ハクティビズムと呼ばれるムーブメント。

その思想には、「テクノロジーの進歩によって平和や自由や寛容さが実現される」「個人がオンライン・コミュニティで繋がり、自由に交流できる電子空間では抑圧も不正もない真の平和がもたらされる」「国家や企業のような人間を抑圧する組織はその役割を終えるだろう」という、コンピューターとネットが権力構造や資本主義をひっくり返してくれるのではないかというユートピアへの期待が込められていました。




管理主義的なサイバー空間

一方で、こんな不安も耳にされたことがあるかもしれません。コンピューターとネットは強力な情報収集能力と、情報処理能力とを持つ。よって、国民のプライバシーも含めたビッグデータの情報管理まで可能。防犯カメラのような監視カメラに管理され、僕たちは権力者に全てを牛耳られたディストピアに暮らすことになるだろう──。

有名なジョージ・オーウェルの小説『1984』では「テレスクリーン」というテレビと監視カメラの両方の機能を兼ね備えた装置で、国民が洗脳されつつ管理される様子が描かれています。他にも「ニュースピーク」と呼ばれる言語統制や、「シンクポル」と呼ばれる思想警察など──微に入り細にわたる設定で1984年の近未来(本の出版は1949年)が予想されています。

また有名なレイ・ブラッドベリの小説『華氏451』ではもう少し踏み込んで、文化の破壊を目的とした愚民政策が語られます。主人公は本を燃やすことが仕事の、消防士ならぬ「昇火士」。こちらでも「テレスクリーン」と同じようなインタラクティブな装置で(しかも部屋の壁を取り囲む大型のテレビ)、人は中毒患者のようにその世界に入り浸っています。

カナダの社会学者マーシャル・マクルーハンは、著書『グーテンブルグの銀河系』で、テレビが人間の脳を退化させていることに警鐘を鳴らしました。暴力と性に溢れるその映像は、グーテンベルグが発明した活版印刷(つまり本)により発達した脳を、原始人の脳に退化させてしまうだろうという主張です。

テクノロジーの発達により監視体制が強化され、同時にネットのエンターテイメントにより愚民化に進む──工学がもたらす新たな支配構造、ディストピアです。




倒錯した世界

どちらも説得力があり、頷けはする未来予想です。しかしジジェクはその両者を「肝心なところをはずしている」「強すぎるか、弱すぎるかである」と批判しています。

シリコンバレーを見れば、たしかに自由なマインドをもったテック企業が大成功。特にAIの分野などでは、古い法律の枠組みにも収まらない新しい世界を創造しているように見えます。

一方で中国を見ると「社会信用スコア」と呼ばれる監視システムが人民を評価。高評価の者には医療や行政サービスなどでの優遇がある一方で、そのブラックリストに載ると消費(買い物)や移動(旅行)などでの制限が課せられています。

こんな実情を見ると、部分的には合っているし、部分的には外れている。国によっては当てはまるし、国によっては当てはまらない。ジジェクの言う通りにどこか外している。一概には言えない気がします。しかし彼が着目するのは人間の心理です。国や条件には収まらない、さらに大きな影響が、ネットとコンピューターというとてつもなくパワフルなツールによって、人の心にもたらされると分析します。

それが倒錯。サイバー空間がもたらすのはユートピアでも、ディストピアでもなく、「倒錯した世界」となるそうです。──以降、次回!!











Author
Sgt.キャンプ
キャンプ歴35年、市井の思想家。