ホーム画面に追加してね>>
コラム
焚き火哲学*38
『SM論⑱スキゾイドキャンプ』

独り火に向かい、その暖かさと燻煙、薪の爆ぜる音を五官で感じる時、人は煩瑣な日常から解放される。炎を見つめながら物思い、物憂う中、人は誰もが哲学者となる。本連載は、そんな孤独な炎を共有し、誌上で語り合わんとする試みである。

― Sgt.キャンプ

珍しくYouTubeから

パラノの次はスキゾです。何のことかお分かりにならない方は前回の『SM論⑰パラノイアキャンプ』をお読みください。パラノイア──執着気質という概念を用いながら、日本型のキャンプを考察しました。今回は西洋型(?)と言ったら良いのかな。続きの論考をお送りします。

スキゾイドというとKing Crimsonの”21st Century Schizoid Man”を思い起こしますね。リリース当時は邦題が「21世紀の精神異常者」となっていました。その後レコ倫から指導が入り、「21世紀のスキッツォイド・マン」に改題されたそうです。


本連載にしては珍しくYouTubeを貼りますが、最初の30秒間は無音に近いノイズが続きます。その後、洋楽に詳しくない方でも聞き覚えのあるフレーズが耳に入ってくるはずです。

それにしてもこのジャケット──恐いですね。曲と同様、一度頭にこびりついたら剥がれそうにありません。




スキゾとパラノ

曲名変更の元となった「スキゾイド(Schizoid)」という英語は、「精神異常者」と大雑把に訳すよりは「分裂症」と訳した方が正確。さらに現代の表記で言えば「統合失調症」になるでしょう。

前回、中井久夫さんを引きながら「分裂気質と執着気質」と解説した概念が、ちょうどそのまま「スキゾとパラノ」にあたります。

精神医学の用語は差別の問題に抵触しかねませんから、名称に細心の配慮が払われます。しかし、僕個人の感覚からいうとスキゾというのは分裂や統合失調というよりは「拡散」というイメージ。意識がひとつ所に留まらず、拡散していっちゃうような感覚。中井久夫さんは狩猟文化に適した気質だと解説されていました。

一方前回のパラノはパラノイア──英語としては偏執病や妄想症と訳されます。中井さんの用語でいうと執着気質。農耕文化の共同作業で育まれやすい気質です。小さな社会での人間関係や地位に偏執的にこだわる、日本人に多い気質だとされています。スキゾの拡散に対して、意識が集中しちゃう感じでしょうか。




逃亡論──スキゾキッズの冒険

『構造と力』で有名な浅田彰さんのエッセイ集、それが『逃亡論──スキゾキッズの冒険』です。雑誌に載ったエッセイをまとめたもの──と言ってもやっぱり難解です。ただ、この副題になっている「スキゾキッズの冒険」が、今回論じたいことのテーマをそのまんま表してくれています。

スキゾはキッズで冒険なのです。

何言ってるかわかりませんね。スキゾは子どもに多く、パラノは大人に多い気質だとされています。確かに子どもって、意識を集中させておくことが苦手で、気が散ってばかりいますよね。

そして、親の目を離れて冒険や探検をしたがるものです。会社や教室での地位や人間関係などを意識するのはもっとずっと大きくなってからです。とにかく教室から逃げ出して外を走り回りたいものなのです。

この本が刊行されたのは、コンピューターと情報技術が世界を変え始めた頃でした。これからの子どもたちは大人が作った資本主義の世界から「逃亡」し、てんでばらばらに電脳世界へと散らばっていくことが予想されていました。

一定方向のコースを息せききって走り続けるパラノ型の資本主義的人間類型は、今や終焉を迎えつつある。そのあとに来るものは何か。電子の密室の中に蹲るナルシスとありとあらゆる方向に逃げ散っていくスキゾ・キッズ、ソフトな管理とスキゾ的逃走、そのいずれが優勢になるかは、まさしく今このときにかかっているのである。

一定方向のコースを息せき切って走る様子は『SM論⑫ 走るクラインの壷』の回で、ジル・ドゥルーズを援用して説明させていただきました。そしてこれからの子どもたち、スキゾキッズはどんな冒険に出かけるのでしょう。




グレートジャーニー

中井久夫さんは、スキゾイドを「S親和者」とも呼称し、「人類のために必要だった」と評しています。

テレビ番組のタイトルにもなっている「グレートジャーニー」という言葉を皆さんはご存知ですか? アフリカで誕生した人類の先祖が、約5〜6万年前にグレートな旅(ジャーニー)を開始し、世界全体に拡散していったことを指します。

僕は以前、伊豆七島へ旅行に行った際、郷土資料館のようなところで「丸木舟」の復元を見たことがあります。縄文人が関東の海岸から、その小さな丸木舟で海を渡って島までやってきた──というのです。

それ以来、僕はその考えに取り憑かれました。確かに晴れた日には大島や新島が、僕の住んでいる関東の海岸からでも見えることがあります。しかし遥か遠くに、うっすらとです。曇りの日はまず見えません。

そんな島に先例もなく、ガイドブックもないのに、誰が小さな舟で渡ろうと思いますか? どのくらいかかるのかも分からず、島についても水や食糧があるかもわからないのに。こっちでよっぽっど嫌なことがあったのか。それほど能天気で、冒険したかったのか。──どうでも良いことをとりとめもなく考えてしまいます。

スキゾイドキャンプ

でも、そんな考えに取り憑かれる僕自身にも、その気があるのでしょう。スキゾイド、S親和者としての気質が。

狩猟時代、かつての人類は「誰もがその能力を持っていた。その基盤は統合失調症の症例と酷似する」と中井さんは言います。都会の生活では飽き足らず、アウトドアへ、大自然の中へと逃亡するキャンパーの皆さんにも、その血は眠っているはずです。逃亡論──スキゾキッズの冒険心が。

区画整理された安全なキャンプ場で、お隣に気を使いながらパラノイアなキャンプに興じるのも悪くはありません。でも、それだけでは「スレイビッシュ・ミーム(隷属的情報子)」の奴隷です。

夏休みもあとわずか。欧米のキャンパーたちが向かうトレッキングやクライミングのように、開放的で、冒険心を掻き立てられるスキゾイドキャンプに出掛けてみませんか。











Author
Sgt.キャンプ
キャンプ歴35年、市井の思想家。